deoxyrib-nucleic-acid’s diary

好きな人と母のおかげで自殺せずに済んでる病んだ高校生のつぶやき。

2017/06/04

山裾の看板を見て思ったことです。

私はどちらかと言うと、誰かのために、よりも、自分のために、という方が好き。

まあ、どちらかと言うと。

今までいろんなボランティアでいろんな年代、いろんな思いを持ってボランティアに参加する仲間に出会ったけれど、誰かのためにボランティアをしている、そんな自分に酔い痴れている人ってひとも少なからず居た。

誰かのために、ではなく。
自分のために、でもなく。

ゴミが落ちていれば捨てるし、迷子になった子どもがいれば一緒に親を探したいし、重い荷物を運ぶ人が居れば一緒に筋トレ兼ねて運びたいし、etc..。

ボランティアって枠が無くても、困ってる人に肩貸すくらいのことが当たり前にできる世の中が私の理想ではあると。

小さな親切大きなお世話と言うけれど。

少しの親切でまるで英雄みたいに褒めちぎる。そういう風潮がすごく嫌いです。

まるで誰にも真似出来ない偉業を成し遂げたかのように。

席を譲る、荷物を持つ、道案内をする、ゴミはゴミ箱へ。

ちょっとやさしくなれたら、周りを見渡せたら、誰にでもできるはずのこと。

私は人と関わることも好きだし、いろんなものを見て触れることも好きで、なにより楽しいこと嬉しいこと、感動とか高揚感を誰かと共有することが好きだから、ボランティアにも参加する。

結論は自分のためになっちゃうけれど、きっと身近なことなら、何も考えなくても体が動くようになっている。

駆けつけた時、周りの人にすごいね。って言われるのが大嫌いです。

嫌悪感がわきます。

私の悪いところです。f:id:deoxyrib-nucleic-acid:20170604220748j:image