deoxyrib-nucleic-acid’s diary

好きな人と母のおかげで自殺せずに済んでる病んだ高校生のつぶやき。

(2017/04/04 15:15:56)

いま本当に、しあわせで、不安で、不快で、胸がいっぱいで、とても苦しい。

 

死ぬことは、いつだって出来るし、一瞬で終わってしまうから、すごく簡単なこと。

 

だけど、やっぱりつくづく思うのが、生きるのって、しんどいなぁ。ってこと。

 

死にたいとは思わないけど、死んでもいいとは思う。

 

死にたいと思うのは、あほらし、しょーもなってなってやめれるけど。

 

最近は、生きてんのもあほらしくてしょーもない。

2017-04-02

考えることを、一度やめた。
いろんな事を、やめてしまった。

未来には、不安しかなくて、これからもきっと、ほとんどの事がうまくいかない。

やっぱり、人より自由に生きてるようで、人より少し、柵が多いかなぁ、と。感じたり。

多分それは、物理的なものもあるけど、私の場合は心の方かも。

(2017/03/22 15:24:17)

自分の命を他人に渡せたらいいのにと、あんなにも思っていたけど、こんなに汚い私の何かを欲しいと言ってくれる人こそ、きっと居ないだろうなぁ、と。

私がすがるのはいろんな人に愛される人。

やっぱり私は、いろんな人に迷惑をかけて、困らせて、大切な大切な、命という時間を使わせてる。

もしも私が死んだ後、私の体のすべてを誰かに渡せるなら、それが本望だと思う日々。

かなしくて辛くて、苦しくて悔しい。

そういう国に溺れて生きるくらいなら、死んで誰かの一部になりたいと思ったり。

2017/03/15 08:57:52

今の生活を変えるのが、とても怖い。

 

高校卒業後、ひとり暮らしはするつもりだけど、誰かに無理に今の状況を変えられると、マトモに生きていける自信が無い。

 

私を犯そうとした先輩が、彼女を孕ませて結婚することになったり、中学の同級生がどんどん子持ちになっていったり。中学卒業後少年院に入っている子もいたり。

 

光に埋もれて見えなくなってる、私の周り。

もがいてやっと、私は今を過ごしてるけど、私だって、いつ埋もれるかわからないような状態。

 

私が誰かにしがみついて、やっと闇から抜け出そうとしてるのに、無理に基準のわからないような普通を押し付けられて、どうしてやっていけるの。

 

やっと、少しずつ、前に進めてきたのに。

2017/03/08 10:03:04

他にもしんどい子は沢山いるのよ。
もっと不幸な子が居るんだから。

 

この言葉は、

 

もうちょい、一般的に言う感じの不幸をパッと見で分かるくらいに被ってから出直して頂戴。

 

って言われてるのと同じに感じるのは、きっと私が卑屈になり過ぎているから。


だから、大人しく帰ろうという気にもなる。

しかし、許せない言葉がたくさんあった。

 

その中のふたつが、

 

お前より不幸な子なんて星の数ほど居るから、お前は幸せなほうだ。

 

とか、

 

今日生きたくても生きられなかった子どもは沢山いるんだから、生きてるだけで有難いじゃないか。

 

だとか。

 

こういう言葉を教師が口にするのは、どれだけ尊敬していた先生でも一瞬でさめる。百年の恋のように。

 

これは、他人を見下して生きることを子どもに教えるということだと、私は受け取った。

 

確かに、たったいま命を落としている子どもは居ると思う。というか、確かに居るはずだ。

 

しかしそれを彼らは、涼しい顔でガキをなだめる程度の言葉として使っているようにしか、私には受け取ることが出来なかった。

 

そしてまた、私のことは良いにしろ、人の不幸を天秤にかける教師が居ていいのか、と。

 

人員不足と教育不足をあからさまに見せ付けられた瞬間でした。

 

夢はやっぱり、正しい教師になることです。

2017/03/08 09:08:50

見守ってくれる大人が居るということが、やさしさを貰えて、可愛がってもらえているということが、妬ましくおもってしまう。

 

どうして自分が、こんなに可愛げの無い子どもに育ってしまったのか、わからない。

素直になりたいのに、ぎこちなくなってしまったり、作った素直さで他人と関わったり。

 

ずっとずっと、みんなが羨ましくて、嫉妬してた。

暴走族だって、先輩に可愛がってもらえたり、不登校の子だって、親やカウンセラー、教師やボランティアなんかに良くしてもらってる。

 

なんで私は、虐待も受けてたし、小学校3年間、中学校1年間、不登校ひきこもりで、中学校3年生で別室登校になって、虐めも受けてたし、リンチもされたし、病気にもたくさんなって、精神病も出てきて、大変やったのに。

 

なんてみんな、冷たいん?って。

誰も私の気持ちになってはくれない。

支援者側の人間と関わってても、誰ひとりとして、気持ちを、わかろうともしないし、最悪、何があったか知ろうともしない。

 

まだ、すごく苦しくて辛い。

 

やっと、ひとりだけ信用できる人に出会えた。

 

だから私は、いま生きてる。

 

彼が居なかったら、苦しさに負けて、自殺してた。

 

彼を責める人は、私が生きることを否定しているように思ってしまう。

彼のことを好きになってしまった。

 

きっと、これも責められてしまう。

 

また、辛いことが増えた。

2017/03/08 08:00:36

高校卒業後の話が、あちらこちらで浮上。

いつまで大人が子どもを縛り付ける社会は続くのだろう。

 

学歴社会も、ほぼ風化してるようなもんだし。もう好きなように、自由に生きても良いのでは。?

 

失敗を恐れてるのは、大人の方では無いの?

 

たくさんの失敗を見てきた人生の先輩は、確かに安定した道を勧めるのかもしれないし、もしくは自分と同じ道を選ばせたり、人それぞれ、これから生きてゆく子どもに言いたいことは色々とあるのだろうけど。

 

何年、何十年先まで、見据えて生きていかなければいけないの?口では四十年後を語っていても、私はきっと、どこかで何かを辞めている。

 

大人が望むから選んだ進路に、縛り続けてもらう必要もない。

失敗したら、その時はその時。

 

きっとどうにかなるし、失敗することの方が、自分の人生には多いのだと気付いたので、きっと何をしても失敗する。

 

しかし、いつも全力なので、毎度の失敗に慣れることもない。いつも、かなしいし、どっと疲労におそわれる。

 

でもきっと、たくさん失敗していれば、きっと、後は楽だ。アラサーくらいでちょっと楽になってくる。そう信じて、いま、失敗と向き合っている。

 

大人は、失敗と向き合わなくていい人生を、提示してくる。

 

けれど、失敗と向き合わなくていい人生を選んでしまったら、もし今まで向き合って来なかったのに、急に失敗と、真っ向勝負せねばいけなくなったとき、きっと、私は負けてしまう。

 

ものすごく、打たれ弱い人間になってしまう。今だって充分、打たれ弱いのに、今以上になってしまう。

 

したいようにするってことが、どれだけ大変で、さみしいものなのか、大人は知らない。

 

一部の柵にとらわれて生きることが、どれだけ心地好いものなのか、私は知らない。

 

お互いに知らないところにきっと居るから、理解し合えないし、反発してしまう。

 

小、中、高、いつの頃も、学校にきちんとまる一年通えた年はなかったし、バイトを辞めざるを得ないことも続いた。

 

朝ごはんを食べる日を、続けることも出来なかった。何も、継続して積み重ねたものが無い。

 

しかし、この環境を作り上げたのも大人であることは否めないはず。私が一概に責められる話では無い、と、言いたい。

 

しかし、何かを継続するって、やっぱりそれくらい恵まれてるって事だとも思った。毎日、何も変わらない日常なんて、やっては来ない。毎日刺激と疲労でいっぱいいっぱい。

 

私は、高校を卒業したら、大学に入学したい。


今まで出来なかった、安定した「日常」を、勉強であったり、バイトであったり、朝ごはんであったり、きっと、どこかしらで得たいと思うから、一から新しい生活をスタートさせたいと願う。

 

この考えに理解者が居ないのは、それだけ私に、心から味方をしてくれる大人が居ないということだろうと思い、それはもう揺るがない。

 

考え方は一見、卑屈に見えるけど、これもまた事実であったりするから、仕方ない。