deoxyrib-nucleic-acid’s diary

好きな人と母のおかげで自殺せずに済んでる病んだ高校生のつぶやき。

裕福

今現在私の通う高校の奨学金

進学しようと思っている大学の奨学金

友人、知人から借りたお金。

主なものはソレだけやけど、私が、これは借金だ。と思ったものは何十万もある。

男が皆、優しかったからこそ、私にしわ寄せが来ていないんだろうと痛感する。

その優しかった男というのが、衣食住、おまけに小遣いまでくれる私の飼い主たちというか、金と体だけで繋がっている財布のような存在で。

最近、ボランティアに頻繁に行くようになり、子どもの貧困という題材を目にした時。

私のことやんって、すぐに感じた。

ドキュメンタリーなんか見てみれば、貧困は思いのほかキツイものだったんだなぁと思うけど、やっぱり、自分が経験していると、賛否両論。

 

貧困を無くそう。子どもたちは何も悪くない。というひとと、甘えんな。って、自分の経験を引き摺って、無関係な子どもたちにも同じ経験をさせようと無意識のうちにさせる人間が居たりする。

 

私は前者で在りたいと思うからこそ、知ろうとするのだけど、無意識のうちに後者の気持ちに賛同しているような気かしてならない。

 

今の子は恵まれていて羨ましいな。

毎日そんなことを考えながら援交に行き着いて、裕福な友達と遊んで、殴られたり汚物を飲み込まされながら、金を貰って生きてきた。

 

両親や親戚、兄弟に可愛がられて生きてきてそうって、よく言われる。

 

そんな夢みたいな生活送った日なんて一日だって無かった。暗い部屋で毛布にくるまって震えてる母と過ごすか、叩かれてご飯や睡眠、風呂やトイレを制限されて感謝しながら過ごさなあかん祖母の家か。

 

兄弟姉妹も居らん。父親も居らん。

健康的で器用な母は知らん。優しい祖父母なんか絵空事やろうもん。

 

私が夢見た生活で、生きていきたかったと願って、外だけでも願った自分で居ようと思ったから、家庭も裕福やと勘違いされるくらいには、心は頑張ってたつもりやった。

 

でもやっぱり、他人は他人なもんで。

同じ服ばっかり着てると、白い目で見られたり。季節ごとの服が一着あるか無いかで生活してきてたから、服は無い。服を買う金もない。

ヘソの曲がりきった裕福なベッドタウンであるこの地元から出たことも無いような田舎者と、少しでも馴れ合いたいと思って、変な目で見られたくないなんて思って、体を売るなんて馬鹿だった。

 

修学旅行くらい行きたかったとか。

冬は寒いから上着が欲しかっただとか。

親に小遣いを要求出来なかったからだとか。

進学したいからとか。

ご飯を食べるお金が欲しかったとか。

 

惨めになるような理由ばかり。

言える訳もない理由ばかり。

こんなもののために体を売った。

でも、体なんかで金が貰えるなら、それもありかも知れない。

 

毎日毎日働いてアイツは偉い。

働けるほど体は強くない。スタートラインにすら付けてないのに、なんで元気で自由に動き回れる奴と比べるんや。

金がないなら働け。

大人達に言われるこの言葉は、援交に導いた。

私が死にかけてたって金は貰える。

歩けなくたって、一時間や三十分頑張れば、ご飯を食べたり、友達と遊びに行ったり、あったかい上着を買ったりできるお金が貰える。

 

裕福なのは私じゃない。

私を買う男がたまたま裕福なだけだ。