deoxyrib-nucleic-acid’s diary

好きな人と母のおかげで自殺せずに済んでる病んだ高校生のつぶやき。

3歳の頃

私は大阪で生まれましたが、父の地元である兵庫と京都の境の山手で暮らしていました。

父の実家は田舎でも大きな家でした。

 

私は園長先生がロバの馬車でお迎えに来てくれる立派なというか、田舎の幼稚園に通い、父と母、父方の祖父母、同じく父方の叔父と伯母さん、そして祖父母のお母さんの曾祖母と生活を共にしていました。

 

父と母、叔父さんと、曾祖母は私をとてもとても大切に、可愛がり育ててくれました。

しかし祖父母は、やっと立てるようになった言葉も満足に話せないような幼い私をこき使います。

 

当然、母は怒ります。

 

母は祖父母が大嫌いだったようです。

けれど、叔父さんはとてもやさしいそうです。

よく兄である私の父に殴られていたようですが、叔父さんはいつも悪い事はしていなかったようです。叔父さんは父や祖父母に呆れて家を出ると決心し、猛勉強してカナダへ留学したそうです。

伯母さんも家を出ると決めるや京都大学に通っていたのですが、同じ大学のお寺の住職さんの息子と結婚し早々に出て行ったそうです。

 

残るは曾祖母と祖父母と父と母、そして私。

曾祖母は私が大好きだったそうです。

 

そんな曾祖母が危篤の時です。

 

父は仕事、母は私のお迎えに行ったらしく、母が私を連れて家に帰ると、危篤の曾祖母の前で座って茶を飲む祖父母を見たそう。

 

母はひとこと怒鳴り散らして、救急車を呼び、曾祖母に懸命に呼びかけたのですが、とうとう亡くなってしまったんです。

それを見て咽び泣く祖父母にキレる母、唖然とする父。この時から、元々おかしかった父の家は崩れていきました。

 

祖父母は莫大な借金をし、それを父に押し付け、母に押し付け。挙げ句の果てには2、3才の私に、将来返済してもらうという破茶滅茶な発言をしたのだとか。

その発言によって、母は父との離婚、父方の家族との離縁を決意したそうです。

 

私のために母は愛していたはずの父を突き放し、私のために貯めたお金も借金返済に使い、残りの借金を返し私を養うために、朝も昼も夜も、必死に働いていたそうです。

 

母方の祖父母の家に私だけでも置いてやれないかと母が相談したところ、祖父母は聞く耳を持たず、母を追い払ったそう。

プライド高いはずの母は祖母や伯母に必死に頼み込みましたが、結局は自分1人で私を養っていくことにしたそうです。

 

そして3歳になる夏です。

 

私は、どうしようもない空腹に耐えられず、母に絶対に触ってはいけないと釘を刺されていた包丁を手に取り、スイカを片手に持ちました。

 

不器用で、何がどうなるのかという検討すらつけられない2歳児は、空腹と喉の乾きで目眩と葛藤しながら、自分の小さな手のひらとスイカをザックリ切って、泣きながら空腹と喉の乾きを潤していた、3歳でした。