deoxyrib-nucleic-acid’s diary

好きな人と母のおかげで自殺せずに済んでる病んだ高校生のつぶやき。

2017/03/05 23:03:54

見捨てて普通、他人事が当たり前。実際他人だし。悪くしないだけマシ。良くしてもらって、奇跡。

こんなことがごく普通の、当たり前の世界、すごく嫌。

他人事は、犯罪だ。って、思うようになったこのごろ。ことばは大層なもんだけど、他人事が、どれだけの人の心から、やさしさや希望を奪っているのか、誰だって、体験しているだろうし、知ってるはず。

極端な話なんてしてない。時には流すことも必要かもしれない。臨機応変に。それがほとんど不可能であることは承知。
けれど、すべてを受け入れず、決められた枠の中のことにしか目を向けない。
ほんとうに、そんな小さな世界に、わたしたちは住んでいるの??

自分のことしか、友達のことしか、家族のことしか、恋人のことしか、枠の中のことにしか、やさしさを向けられない。
そしてそれが本当のやさしさというものかは、わからない。

困っている人が居ても、素通り出来てしまう。
傷付いた方が居ても、見過ごせてしまう。
泣いている人が居たら、嘲笑ってしまう。
悩んでいる人が居たら、馬鹿にしてしまう。

皆が皆、そうであるとは言わないけれど。
それが当たり前のちっぽけな枠なんて、要らないんじゃないかと。
ひとりひとりがやさしくなることで、やさしい社会は生まれるはず。

やさしい人を、特別にしてはいけない。
やさしい人を、凄いと言って、まるで普通の人には、みんなには、やさしさがないかのように。そんなこと、してはいけない。

人のSOSを、見ようともしない。聞こうともしない。触れようともしない。

それはもう、わたしからすれば犯罪。

助けが欲しい人だけが、たくさん居る世界なんて、そんな成長のない、つまらない世界に、しておくのは、かなしい。

助けられるだけの人なんて、そんなのいけない。
やさしさを持たない人なんて、きっと居ない。
人に与えられた分だけ、やさしさは育つと信じているし、ひとつのやさしさを貰って、そこから、そのひとつが、大きく大きく成長して、素晴らしい人をつくるのだと、信じたい。

人を見下したり、見捨てたり、見て見ぬふりをしたり。そういうことを、平気で出来てしまうような人が、いくら大義名分、世のため人のためを語ろうとも。
何も、生まれやしないんじゃない。